小説 多田先生反省記

10.禁酒の誓い

 11月の声を聞いたあたりから些か秋が深まってきたようだった。一升瓶とビール瓶が部屋の片隅を塞ぐたびに小母さんにその処分をお願いしてきたが、頬をなでる潮風が冷たくなるにつれ黄昏時ともなればお酒の燗に勤しみ、勢い日本酒の空き瓶の数がビール瓶を凌ぐようになってきた。次から次へといろんな学生が出入りしては共にお酒を呑むことが多くなったにしても、数に於いてどちらの空き瓶が他方を凌駕しようとも我ながら呆れた気持ちがしないでもない。空き瓶が林立しているのを眺めるに外でお酒を呑む頻度が減ったような気もするが、飲み屋に足を運んでいる度合いがどれほど少なくなったのかはきっちりと掴んではいない。その晩も大野と神埼を相手に下宿で晩飯のおかずを肴にちびちびと呑み始めた。

「先生、今日の授業ですけど…」大野が云い出した。

この時期になれば入り組んだドイツ語の文法をぎゅうぎゅうと学生の頭に詰め込むようになってきていたし、今日は時制に係る内容で別して複雑だった。幾らか判りにくかったのかも知れない。下調べも丹念に済ましていて、教科書を開くまでもなく説明から例文まで確(しっか)りと頭に入っている。

「今日は武士道のお話をして下さいましたね」

授業でのドイツ語が話題に昇らないのは今日に限ったことではない。教室を離れるや誰一人としてドイツ語について訊きに来た者はいないのだ。

「そうだったね」私はいくらか気落ちして応えた。

「高校生の時に、英語の先生から新渡戸稲造の武士道のことを聞いたことがあるんですけど、それとは趣が違うような気がしましたが…」

「そう、新渡戸の武士道は元本は英語で書かれていてさ、日本語にも翻訳されているけど、ドイツ語版もあるんだ。ざっとドイツ語で読んだことはあるけど、新渡戸の武士道は大和魂っていうか、道徳の作法みたいな気がするね」

「そうですようね。そんな風に聞きよりました」

「今日、言いたかったのは、いつだって自分のショウシを見つめながら清く生きて、間違いのない判断をしろよっていうメッセージだったわけ」

「ショウシって何ですな?」神崎が聞いた。

「そうか、普通はこういう言い方ってしないね。セイシ、生と死のこと。君は佐賀県の出身だから葉隠については詳しいだろ」

「聞いたことはありますばってん…」

「お前は佐賀でも、唐津の出身やけんね。よぉっとは知らんじゃろうけど、備前の国は佐賀鍋島藩にその武士道の源流があるとよ。そうですよね、先生」

「大野はいろんな知識に長(た)けてるね。そうなんだ、その武士道よ。朝毎に懈怠なく死して置くべし、ってね」

「ケタイ?」と神崎。

「そう、怠けるということだね。仏教で云えば『精進する』の反対さ。要するにお前ら毎日、しっかり勉強せないかんぜ、と云いたかったんだけどね。極めつけは、誰だっていつかは死ぬ。されど死を恐れるなかれ、清く生きて美しく死を迎えようっていう俺の滅びの美学をひけらかしたかったのさ」

神崎は私の気焔に惑わされたような面持ちでいる。

「先生の滅びの美学って、矢張り江戸っ子の気取りに始まりがあるんでしょうか?」大野は先ごろの落語を巡る遣り取りを思い起こしたようだが、私の答えを待たずに話の切っ先を転じた。

「ところで、先生!この間、あそこの中華屋さんに行ってきました」

「どこの?」私もすぐに鉾先を合わせた。

「ほら、ここの所をまっすぐ出て行って、電車通りを渡って、すぐのところのお店です。前にも一度行ったじゃありませんか」

「ああ、あの店ね。それがどうした?」

「今度、可愛い店員さんの入ったとです。ぽちゃぽちゃとしたお姉ちゃんです」

「先生、僕は行ったことなかですよ」神埼が口をとがらせている。

「お前が佐賀に帰りよった時たい、先生にご馳走になったんは。あそこの餃子おいしかったですもんね。それで、僕、弟に多田先生に連れていってもらった旨い中華屋さんのあるけん、お前も一度連れてってやるって。それで、行ってきたんです。そしたらそのお姉ちゃんのおったとです」

「よし、餃子食いに行こう。神崎、お膳を片付けろ」

 銚子に残っていたお酒も片付けて私たち三人はいそいそと出かけて行った。私と神埼が出かける時には犬は吠え立てない。くだんの店に入ると大野お気に入りの店員がメニューを持ってきたが、そんなものには目もくれず餃子を注文した。「お飲み物は?」と聞かれて、迷わずビールを口直しとすることにした。

「先生、どげんですな?」

「どげんも、こげんもなかろう」私は平静を装ってそんなことを口にした。

「また、先生。そんなこと云いながら目はちゃんとあの娘(こ)ば追いよりますよ」

「ハイ、ビールです」店員はビールとグラスを置いていった。

「何だ、愛想のねえ店員だな。も、ちっと何とかなんねえのかな」

「先生、まずはどうぞ」神崎がビール瓶を押し頂くような格好で私の方に瓶の口先を差し向け、大野のグラスも満たして、嬉しそうに自分のグラスにビールを注いだ。

「先生、初めてのお客さんにそうそう愛想も振りまいてはおられんでしょうが…」

 暫くして餃子を運んできた。

「はい、餃子になります」

 割り箸をパチンと割ったら片一方の箸の先がとんがっていた。

「どうにも変だよな」

「何がですか?」私の箸を見ていた大野が怪訝な顔つきで聞いた。

「餃子を頼んだよね。そして持ってきたのは餃子だ。そうだろ。なのに、何だって『はい、餃子になります』って云わなきゃいけねえんだ?『お待ちどうさまでした』とかなんとか言いようがあるだろが…」

「先生、この餃子うまかですね」

「神崎、俺は今、餃子のこと云ってるんじゃないの。あの店員の言い草よ」

 それでも神崎はふうふう息を吐きながら餃子を食べている。

「それにしても君はよく食うね。さっき、お櫃のご飯も食ったよね」

「僕は呑むよりも食べる方が好きです」

「俺も食べる方やけど、お前はホンマよう食うな。先生、僕もよう食いますけど、こいつもようけ食べよりますな」

「大野は時として関西弁になるね」

「そうなんですよ、僕は高校二年まで奈良のばあちゃんの所におったですよって、なかなか関西弁が抜けきらんとです」

「ほら、こんどはチャンポンになった」

「ここはチャンポンもあ〜とですか」

「餃子を食いながら話すのはやめなさい。みっともない。お姉ちゃんがみてるぞ」

「いっ?」神崎は慌てて後ろを振り向いた。

「先生、どうしてごちゃ混ぜになっていることをチャンポンって言うんでしょう?」

「それはだな、チャンポンって肉やら魚介にいろんな野菜をてんでに入れて煮込んであるよね。そこが語源なんだろうと思うよ。福岡に来て初めてチャンポンを食って、その意味が納得できたんだ」

「東京ではチャンポンは食べはったことはないとですか?」

「うん、もっぱらラーメンだったね。最近では札幌ラーメンも出回るようはなったけどね、チャンポンはなかった。チャンポンに似てるのはタンメン」

「どげな字ば書きようとですか?」箸を休めた神崎が聞いた。

「湯に麺よ。俺は子供ん時からずっとラーメンばっかりでさ、これも昔は中華そばって言ってて、戦前だと支那そばだったみたい」

「戦前でしたらまだ中華人民共和国はなかですけん、説得力ありますな」大野が珍しく感心げに云っている。

「説得力なんてもんじゃないけどさ…この湯面を食ったのは中学校の一年生の時でね、バスやら電車乗り継いで友達の家に遊びに行ったら、これを取ってくれたわけ。やたらと野菜が入っていて汁は塩味でさ、醤油のさっぱり味のラーメンを食い慣れてきた俺は食い終わるのに往生したわ」

「先生、僕、東京さ行ったこつなかですけど、佐賀の友達から聞きよったら、東京のラーメンゆうたら汁は真っ黒ぉして、麺はインスタントんこつ縮れよぉって。そがんですな?」

「もちろん縮れてるさ。インスタントラーメンは東京の縮れ麺を基本にしてるから縮れてるんであって、後先が逆だね」

「真っ黒っか汁て、どがん汁ですな?」

「真っ黒じゃないよ。醤油を使ってるんでね、西の人からすると真っ黒っていう言い方になるんだろうな」

「大阪人も東京のうどんやら、エライしょっぱぁて食べられへん、云うとりますよ」

「江戸の者から云わせりゃ、大阪のうどんは塩っ辛いってなるわ」

「ところで、先生。最近は博多のラーメン食べれるようになりはりました?」

「いや、どうにもあのギトギトしたスープと匂いは未だに駄目だ」

「そがんですね、僕と西新のあのラーメン屋さ行った時、先生、半分しか食べよらんかったですね」

「うん、大野に連れていかれて最初に博多ラーメンの洗礼を受けたのがあの店さ。二回目の挑戦でも失敗したな。それにしてもあん時は神崎、君がお冷のお代わり頼んだら、『自分で取ってこいっ』て叱られたな」

「ほんなこつ、あん店の兄ちゃん、えらいせからしかったとです」

「神崎な、あん店は、はやっとろうもん。客より店員の方が偉かよ。ラーメン屋で思い出した…先生はご存知ないでしょうけど、博多では替玉ってあるとですよ」

「東京にもあるよ。俺、学生の頃にドイツ語の試験で友達の替え玉のアルバイトしたことあるもん」

「そげんことしなはったとですか?…その替え玉とは違ってですね、博多ではラーメンの玉だけお代わりすることを替玉、云うとります」

「へえ、そんなの知らなかった」

「僕の二番目の弟なんかですね、ええ、あのラグビーばしよる弟です。替玉5杯食うても平気な顔しよりますよ。ちょこっとスープば足してくれるとですけどね」

「そうなんだ。そういえばこれも大野が案内してくれたあの大名のうどん屋でもそんなのなかったっけ?」

「いや、ラーメンだけですたい」

「そうか…。俺の勘違いかな。ま、いいや。ところでさっきのチャンポンだけどさ、俺、博多に来て初めてチャンポン食べてね…それで広辞苑で調べてみたらさ、さっき云った通りだった」

「先生は広辞苑はよく使われるんですか?ドイツ語の辞書ばっかりかと思ぉとりました」

「日本語って難しいもんね。手紙書くときも漢字を間違えないようにしなくちゃいけないしさ、よく使うんだけど。それにしても俺の場合はどうしてもドイツ語の方が比率としては高いだろ。ドイツ語だとさ、英語にしてもそうなんだけど、ABCの26文字だろ。辞書は引きやすいのさ。でも日本語となるとイロハ四十八文字あるよな。それが縦横になってるんでさ、たとえばチャンポンを調べるにしてもこれが一筋縄ではいかないんだな。まず、「ち」だろ。この「ち」を思い浮かべるにだね、タ行を初めに考えるわけだけど、それが横並びに「あかさた」と行って、もっと先にいって「や」になるわけ。だから、エライ時間がかかるんだ」

 神崎は合点がゆかない顔をしている。

「あんまり辞書なんか見よらんお前には今の先生の苦労話はわからんじゃろうが」大野がからかい出した。

「しゃあしい!」それでも餃子を平らげた神崎はにやにやしながら、今度は煙草をくゆらせている。

「それにしてもお前は煙草もよう吸いようね。体に悪いとよ、そげんに煙草ば吸いよったら。そげんプカプカ煙草ば吸うて、欲求不満じゃなかとか?」

「そがんこつなかよ。煙草は大学生の象徴じゃもんね!」神崎は澄ました顔で煙草を吹かしている。

「先生はいつから煙草をお吸いになるようになったとですか。やっぱ、大学生になってからですか?」

「いや中学校の時から」

「いっ?」

「神崎、そのいっ?ていうの止めろよ。気になってしょうがないから」

「いっ?」

「欲求不満で思い出したんだけどさ、俺の大学の友達で、そそっかしいのがいてね。そいつ、なんかのクラブの合宿の世話係りやっててね、交通公社に行って宿の手配をしていたわけ。そのときにね、学生の分際だからあんまり高い宿にはとまれないんでね。それでこっちの条件を云う段になってさ、『僕たちの欲求としましては・・・』て云い出したんだって」

「いっ?」

「先生のおっしゃてるのは要求と欲求を言い違えたったてことばい!」

 餃子も食べ終わり、何本かのビールも飲み干して私たちは店を後にした。下宿でしこたまお酒を飲んできたので足元はかなり危うくなっている。可愛いお姉ちゃんは最後まで愛想を振りまくことはなかった。

「先生、可愛かでしょう、あのお姉ちゃん」

「そういや、あんまり見てなかった」

「そんなアホな!しっかり見てらしたじゃないですか。あ、僕ちょっとそこで弟に電話してきよりますけん」

 大野は何軒か離れた煙草屋の店先の公衆電話に駆け寄った。神崎と私は所在無く煙草を燻(くゆ)らしながら往来の西鉄電車を見送っていた。すると、突如として大野の怒鳴り声が聞こえてきた。どうしたことかと私たちは近づいていった。

「先生、この電話機故障しよります。お金が戻ってきよらんとです。おばちゃん、これどげんなっとるん?お金返してぇな!」店番の婆さんは取り付く島もなく「わからん!」の一点張りである。いよいよ怒り出した大野はその公衆電話を持ち上げて地面に叩き落としてしまった。店の婆さんは奥に引っ込んでしまうと大野はブリブリと憤ってすたすたと帰ってしまった。私たちはなす術もなく呆気にとられていると、すぐさま通りを隔てた向かいの交番から二人の警察官が遣って来た。私たちは交番へ同行させられ、かなり長い間、事の顛末についての事情を尋かれた。店番の婆さんは奥に引っ込んで警察に電話をしていたのだった。電話機を壊したのは私たちではないこと、どこかの誰だか知らぬ若者がやった仕業だと弁明して漸く私たちは解放された。私はどうにも気持ちが治まらない。神崎を先に返して一人で呑み直すことにして、近くのスナックでハイボールを何杯か呑んだ頃にはもうすっかり酔いしれてしまっていた。その後どこをどう歩いたのか全く記憶がない。気が付いた時にはどこかの庭先に入り込んで「大野!」と声をかけては、頻(しき)りに雨戸を叩いていた。そしてその後のほんの数分がまた記憶から抜け落ちている。夢から覚めたような心持がしたときには私はドブの中の浅瀬に座り込んでいた。這い上がろうにも手懸りはないし、手を伸ばしてみても上まで手は届かなかった。飛び上がってみたが無駄だった。仕方なく浅瀬の泥に座り直して、ぼんやりと上を見上げると星がいくつも煌いていた。なぜか私はそのまま死んでしまうような気がした。それにしてもこの死に様はどこにも美学めいたものがない。不様だ。そのうちに上の方から灯りがさした。懐中電灯が私の姿を曝け出した。「あそこに誰かおる!」上の方からがやがやと声が聞こえたと思ったら、梯子が降ろされた。這い出た先はタクシー会社の駐車場だった。駐車場の水道のホースで腰から下の泥を流し落として、そこの事務室で暖をとった。

「あんた、なしてドブん中さおったと?」

「わからないんです。どうしたんでしょう?」

「わからんて、あんた!なんやら喚きながらあン家の雨戸ば叩きよったでしょうもん。あの夫婦えらいびっくりしよって、庭ば探しておるうちにドブン中であんたば見つけよったとよ」

「そうなんですか。兎に角、帰ります。お世話になりました。送ってください」

 あくる日は授業はなかった。大野に電話をした。

「お詫びに行かなくちゃいけないけど、どこだったのか皆目見当がつかないのさ」

「タクシー会社の名前は判りますか?」

「いや、それも覚えてない」

「分かりました。とにかく調べてみます。今日は大学にいらっしゃいますか?」

「いや、下宿にいる」

 暫くして大野から電話があった。タクシー会社が判ったそうである。

「よく調べたね」

「大体、あの辺から歩いていけるところでドブのある近辺に検討つけてタクシー会社に電話をかけてみたら直ぐに判りました。今から下宿に伺いますからちょっと待っとって下さい」

 二つの菓子折りをさげて大野と一緒にすごすごと謝罪にでかけた後、私は大野と別れて三つの神社に詣でて3ヶ月の禁酒を誓った。その翌日、九州大学の篠栗と顔を合わすなり呑みに誘われた。篠栗は春の学会以来、六本松にある大学の研究室を訪ねて行けば、時として教養部の近くにある飲み屋に誘ってくれている。このところ飲み過ぎが祟ってしくじったところだと云った。詳らかにしたわけでもないのに、笹栗は自分のお酒の上での失敗談を語ってくれた。

「俺なんかね、こっちに来て暫くして慣れてきた頃、呑み過ぎてさ、挙句の果てにドブに落ちたんだぜ」

「えっ?」

私は恩師を博多ばかりかドブの中まで追いかけたことになる。

 「禁酒は3ヶ月にしたのか。偉い!じゃ、それを6ヶ月にして一日おきに飲むようにすればいい」

 その晩、私たちは大いに呑んだ。そして私の禁酒は9ヶ月に及んだのだった。つまり毎日、呑んだのである。

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